お前入ったのは2年前だっけ?
入社したのは2年前ですね。
3月だっけ?4月からか。
そうです。
青木に来てもらった最大の理由が、 2000年以降のメルセデスベンツにサカモトエンジニアリング含め、 俺自身が対応出来ていなかった。
ということだよね。

90年代後半までは、俺がわかるけども、それ以降っていうのは 例えば、「トラブルが起きた」とか、「細かい仕事」が来た時にディーラー依存、 もしくはそれ系列のところに依存しなければ、 なかなか解らなかった部分が多かったんだよな。

だからやらなかった。

その時代を生きてた人、経験してきた人のパワーが欲しいなって思いだして、 青木がちょうどいいタイミングで来て、いま非常に助かってるんです。

その青木を知らない方もいらっしゃるでしょうから、 青木を紹介したいと思います。
皆さん初めまして。「青木啓輔 アオキケイスケ」です。
おまえそれじゃあ選挙だよ。(笑)
あ。そうですね。(笑)

昭和60年2月に生まれました。
簡単な経歴や職歴を言いたいと思います。

もともとこの業界に入ろうと思ったきっかけっていうのは、 最初はやっぱりバイクです。

バイクが好きで、それからバイクをいじるのが好きになって、 年齢を重ねて自動車の免許を取得して、車が好きになって。

それを「自分の仕事に出来たらいいな」っていうのが、 この業界に一番最初に入ろうかなと思った”単純な”きっかけなんです。

それから、最初に憧れてたクルマっていうのが、 日産の「グロリア」だったのもあったんで、 日産の直営校の「日産メカニックビジネス専門学校」という 自動車に特化した専門学校で2年間勉強してきました。

就職は、日産の直営学校だったので、 日産系列のディーラーに先ず就職が決まりまして、 そこで約6年ほど、日産のディーラーで働いていました。

その時は、メルセデスベンツを含め 外車に興味を持ったことも無かったですし、 自分で持ちたいというふうに、目が全く行って無かったんですけど、 たまたま自分の後輩がベンツに携わるような板金屋さんで勤め始めて、 そいつがベンツを乗り始めて。

初めて自分も「メルセデスベンツ」っていうものを意識するようになったのが、 そのときで、日産に入って5年目ぐらいの時だったですかね。

自分もベンツに乗りたいな、ベンツに触ってみたいなっていうような思いから、 ちょうど5年6年やってきたんで、今いる環境を離れて、 そういうベンツを扱うディーラーに入りたいなっていうふうに思って、 そして、ベンツのディーラーへ行きましたね。
そのディーラーは紹介とか試験とかってあるじゃない。
3社ぐらい履歴書送ったんですよね。
シュテルン系列、ヤナセ系列って言うのかな?
今考えてみれば社長がいた所みたいな純粋なヤナセ系列ではなかったんです。
直営じゃないとこだ。
はい、直営じゃない所ですよね。

それで、3つ受けた所のうち、2つは落ちちゃったんですけども、 その内の1つは書類選考で落ちちゃった感じですかね。
で、もう1つは社長がおっしゃったように、試験を受けました。

SPI試験ていう、車と関係無いやつなんですけども、 数学社会国語みたいなのから その人の能力を判断する試験みたいなのを受けました。

で、落ちましたね。(笑)

最後に受かった所がシュテルングループだったんです。
そこはもともと新卒にも結構力を入れてたんですけども、 中途採用にさらに凄く力を入れてる所だったんです。
経験者優遇ってやつだ。
はい。
だから国産のディーラーにいた人だろうが、外車ディーラーにいた人だろうが、 結構力入れてたんで、そこは面接だけでいけたんです。
基本的には、だれかの紹介とか受けないで、自分で応募してた感じです。
中途採用みたいなやつだな。
そうですね。まさに中途採用ですね。
そこで約2年ほど、ディーラーで経験させて頂いてまして、 それから、今のサカモトエンジニアリングでお世話になっています。
俺はおまえにアンチョコがあるからいろいろ聞かなきゃいけないんだ。 えっと、まずはうちの会社、サカモトエンジニアリングを選んだ理由だな。
はい。サカモトエンジニアリングを選んだ理由は、 自分自身、町工場っていうのを経験していなかったんで、 最初はやっぱりそれなりに、不安ていうのもありました。
大きい所の方が潰れないんじゃないかとか、企業の安定不安定そういう心配はありました。

ただ、ディーラーと町工場ってもしかしたら全く畑が違うのかなっていう。 やってる事は一緒なのかもしれないですけど。

それにインターネットでサカモトエンジニアリングを調べたときに、 社長がヤナセの工場長を経験したという事で、 そういう所でやった方が、大勢いる中での1人よりは少人数の1人の方が、 それなりにそっちの方が厳しいっていうのはあるかもしれないですけど、 ほぼマンツーマンみたいな感じなんで、こちらの方が勉強出来るというふうに思いました。 それが一番ですかね。
うちが何で会社を立ち上げたかって言うとさ、いろんな理由もあるんだけども、 やっぱりディーラーってある程度「型」にはまっちゃってさ、 メーカーの指導もあるし、ここまではいいですよ。
これ以上はもうやりたくても出来ないってあるじゃないですか。
やっぱ保障の問題だとか。

あと要は今で言うISOみたいなのに乗っ取って仕事をしなくちゃいけないんだよ。
出来栄えも同じ、時間も一緒、料金も一緒、そうすると個性が無いんだよね、まるっきり。

イコール、「血の通った整備」が出来ない。
お客さんに合わせた整備が出来ないって言うのかな。
俺そういうのが嫌でさあ。

働いてる人も大変だよね。
その人の個性を大事にするから。

だから最低限うちでやった車の完成度っていうのは、 ある程度皆で上げて貰わなくちゃいけないんだけども、その内容っていうのかな。
それはやっぱり、整備をやる人の個性でさ、いかに厚みをつけてあげるかっていうさ。

その練度が上がれば上がるほど、うちの価値も認められていくのかな。

簡単に言えば付加価値みたいなもの。 ディーラーじゃ出来ないけど、「うちではここまでやってあげますよ。」っていう。
ユーザーさんの希望だとか個性に合わせて、整備をしているって感じですよね。
それが理解出来ないお客さんって言うのは、俺はディーラー行っちゃっても いいのかなと思うよ。
高い安いっていうのはもう別の話であって、通り一遍の修理をして、それなりに乗れるように してくれればいいよって言うのであれば
別にうちじゃなくてもね。
そう。
青木がうちに来て面接した時に話して、鈴木さんとも俺話したんだけども、 なんかある部分、俺の昔を見ているような一面もあるんだよ。

ちょっと曲がっているような所もあるかとも思ったんだけども、 それぐらいの奴の方がものになるだろうと、いう感じかな。

悪い意味じゃなくて、いい意味で癖のある人間じゃないと、こういう所で体を張って 商売していくのはちょっとキツイんじゃないかっていうことな。

で、人に流されちゃう人間は必要無い。
その時代、その時代でさ、「自分にも負けない」、「時代にも負けない」で踏ん張って 「前を見つめて常に行く」っていう、おまえなら適任じゃないかな。

(インタビュー用のアンチョコ見ている)

「これからトライしたい事は?」
そうですね、今一番ちょっとやってみたいのはミッションのオーバーホールです。
ミッションの中って専門学校時代の時見ただけなんです。
中をバラして見てみるっていうのは。
やっぱりディーラーにいると中をバラすなんて事は基本的には先ずないですから。